galaxx’s diary

とあるオタクの一人語り。

年の瀬に もうだめだめだ もうだめだ ここが舞台だ 愛城華恋

はじめに

最近理路整然とした記事を書きすぎたので、書き殴ります。

「劇場版 少女歌劇レヴュースタァライト」のネタバレを多分に含みます。 

 

 

皆殺しのレヴュー

大場なな、お前という女は…。うう…

そうだよな、アニメ版でもお前はいつだって過去に固執していた。みんなとの大事な思い出を、大事に抱えて生きていた。だから、新たな舞台を求める彼女たちにある種裏切られたという思いを抱えていてもおかしくない。ただ、個人的にはそれと同時に覚悟を問うていたんだと思うんだよな。「これはオーディションじゃない」。彼女は確かにそう言っていた。この映画の主題歌のタイトルにもなっている大きなキーワードとして「私たちはもう舞台の上」というものがあった。あのオーディションのことをいつまでも引きづっている香子の発言を、ななももちろん聞いていたに違いない。聖翔祭のステージは終わった。終わった以上次の舞台へ向かって行かなくてはいけない。それが舞台少女だから。その心構えを彼女は問うてくれていたんだと思う。

「列車は必ず次の駅へ では舞台は? あなたたちは?」

彼女たちもまた、次の舞台を目指さないといけない。出会うために、別れないといけない。そのことを彼女は改めて99期生の皆に突きつける。天堂真矢だけは、既にその心構えができていたようだけれど。This is 天堂真矢。

怨みのレヴュー

ふたかお。進路相談のシーンで香子は実家に帰ると言っていたが、それはあのオーディションで一番になれなかったことへの挫折感があったのかもしれない。それを受け入れて、新たな舞台を目指してしまえる皆が、目指せないでいる自分が「しょうもない」。自分に何も相談せず新国立への挑戦を決めてしまった双葉が「しょうもない」。そんな苛立ちをぶつける。で、双葉は香子に相応しい自分になるために一度離れる。もうプロポーズでしょ。あの毎日の登下校で香子が双葉を何度も待たせたように、今度は双葉が香子を待たせる番。ずっと隣にいることを誓い合った2人の、決定的な決別。でもそれは、再び出会うための決別。強いな、二人とも…

競演のレヴュー

そもそもこの劇場版は、神楽ひかりの聖翔自主退学から始まっている。それを受けて哀しみに暮れる華恋を、まひるは間違いなく誰よりも見ているはずだ。だからこそ、彼女は問わねばならない。神楽ひかりの本心を。なぜ華恋と2人のステージからお前は逃げだしたのかと。その糾弾はあまりにも鬼気迫るものがあり、あの神楽ひかりが泣き出してしまうほど。しかしなんと、これはすべてまひるの演技だった。アニメのあのレヴューは間違いなく本心で言っていたと思うが、今回のこれは彼女の本心を自覚させるための演技。演技を完遂できたのは、彼女が舞台少女だから。彼女は、舞台で生きていく覚悟をしたから。だからこそ、ひかりにも舞台から逃げない覚悟を問う。今回の劇場版で一番株が上がったかもしれない。露崎まひる、強い。

狩りのレヴュー

過去との決別と聞いて黙ってないのが勿論この女、大場なな。大切な記憶を抱えて、記憶と心中しようとした女(さすがに嘘)。純那は自分が知ってきたたくさんの言葉とともにこのラスボス(?)に立ち向かうが、所詮借り物の言葉、呆気なく切り捨てられてしまう。それでも、星見純那は折れない。オーディションに1度負けて、2度負けて、それでも主役を目指し、星を追いかけ続けた不屈の女だから。星に目が眩んで前が見えていないだって?それはお前の方だ大場なな。お前はいつだって過去の思い出に縋りついて生きていた。思い出の中の星見純那を愛でることに終始していた。その目を見開け。

今お前の前にいるのが、

誰より眩しい主役の、

星見純那だ。

 

うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

「泣いちゃった」じゃねえんだよお前ら。泣いてるのはこっちやぞボケナス。やっぱり、じゅんななな、なんすよね…

魂のレヴュー

天堂真矢は天才だった。天才の集う聖翔においても、間違いなく一線を画す天才。天才とは、往々にして孤独である。そして、彼女はあまりにも完璧に「演じる」ためか、なかなか本心を曝け出さない。でも、西條クロディーヌはそんなこと許さない。天堂真矢のライバルとして、彼女を孤独になんかしてやらない。自分自身でも気づいていない彼女の欲望を、「空っぽの器」に隠された彼女の魂を、クロディーヌは自身とのぶつかり合いによって無遠慮に曝け出す。そうして全てを曝け出した天堂真矢は「とても可愛い」。お互いに自らの全てを懸けてぶつかり、どこまでも燃え上がっていく。お互いをお互いに喰らいあう。それがライバル。ライバルとして、彼女たちのレヴューは、永遠に終わらない。

 

最後のセリフ

アニメ中で、華恋視点の回想はほとんどなかった。その点でこの劇場版は彼女の物語そのものであったともいえる。皆殺しのレヴューの対象に唯一選ばれなかった華恋、それは次に目指すべき舞台が何もなかったから。舞台を始めたのも、ここまで駆け抜けてきたのも、それは全てひかりとの約束のため。一緒の舞台に立つまで「見ない、聞かない、調べない」という誓いを立てて。それでも一度だけ、彼女はその誓いを破ってしまう。ひかりが、約束を覚えているのかという不安に駆られて。だが日本に戻ってきたひかりは、「全てはスタァライトのために」というクソ重口上とともに戻ってくる。だから、華恋は心の底から喜んだ。彼女にとっての舞台は、まさしく神楽ひかりそのものだった。

しかしそれは、本質的な矛盾をはらんでいる。舞台は見てくれる観客がいて成立し、観客に向けて演技するものだ。しかし華恋には、その前提が欠けている。彼女は最初から、観客の方など向いてはいなかった。ずっとひかりの方を見ていた。だから客席の近さも、舞台の緊張も、何も知ってはいなかった。そんな窮地に陥っていた華恋に向けて、「彼女にとっての舞台」であった神楽ひかりは立ち上がる。彼女の前では、まひるに見せた弱々しい姿など魅せない。華恋にとっての舞台が自分そのものだから。舞台上でそんな姿を見せるのは許されないから。まひるに告白したように、ひかりは華恋の輝きから向き合うことから逃げていた。ひかりしか見ていなかった華恋と、華恋だけを見ていなかったひかり。美しき対比構造。だから彼女を救うために、ひかりは正面から華恋に対峙しなければならなかった。そして、ひかりは彼女に告げる。

 

ここが舞台だ!愛城華恋ッ!

 

自分はお前にとっての舞台じゃない。自分とお前が立っているこここそが舞台だと。残酷なまでに告げる。それは絶交宣言。決別宣言。そして、新たな出会いの宣言。この言葉によって、愛城華恋は初めて「舞台少女」となった。舞台を目指す少女じゃない、舞台の上で演じる少女に。神楽ひかりに憧れて、見上げ続ける少女じゃない。同じ舞台に立って、対等な役を演じて、互いに競い合う同じ舞台少女。だからこそ、彼女の最後のセリフは、

 

私も、ひかりに負けたくない

 

これ以外に、許されるはずがなかった。

この物語をもって、舞台に憧れる少女たちは、「舞台少女」になった。そうして、彼女たちの舞台は続いていく。ひとつの舞台が終わったら、もう次なる舞台の上にいる。生きることは、物語じゃないから。舞台が終わっても、彼女たちの人生は続いていく。それを見るのは、舞台の観客である我々ではない、舞台少女である彼女たちだけに許された最大の特権。

以上。