galaxx’s diary

とあるオタクの一人語り。

飛行に関する雑感

石川啄木夏目漱石など、飛行機が空を飛ぶ様子を記録に残した文豪はたくさんいる。では、彼らが実際に飛行機に乗っていたら、何を感じ何を考えたのだろう。飛行機が離陸し、大地から解き放たれた自由な存在となる瞬間に感動したのだろうか。雲海の上からこの世の全てを覗き見て、自分がこの世の全てを征服したような万能感すら覚えたのだろうか。それを知ることができないのは非常に残念でならないが、ここは一つ、自分もしがない物書きの端くれになったつもりで、飛行機の感想を記そうと思う。

自分は確かに離陸の瞬間も、雲海を望む瞬間もそれなりの感動を感じた。しかしながら、それらを上回る刺激と興奮をもって迎えたのは、他ならぬ着陸の瞬間であった。離陸し、空を飛ぶ間、重力圏をしばし離れ仮初の自由を手にするのは事実だろう。しかし翻ってみればそれは限りない孤独だ。地を這って生きるよう生み出されたヒトの、大いなる地球に対するささやかな反抗にすぎない。そこから一抜けたとばかりに空へ飛び立ったとて、地を這う運命に従い粛々と生きる人々への裏切りでしかない。そこに孤独が生じる。

その裏切りと孤独から解き放たれる瞬間こそ、着陸の瞬間である。我々の刹那の裏切りをも、大地は優しく受け止める。さながら幼子を抱く母親のように。時代が進み技術が進んだとしても、「母なる大地」という手垢にまみれたフレーズを見かけ続ける所以がここに見えた。そうして母という受容者の存在を経て、我々は孤独から解放されて、再び大いなる運命に従い生き続ける。

つまり自分の思う飛行とは、大地に対する刹那の裏切りと孤独、そしてそれに対する最も偉大な受容の経験である。このような壮大な体験をさせてもらえる僥倖に感謝しつつ、自分もまふたたび地を這って生きる運命に回帰していくこととしよう。